私が初めてインコさんと触れ合ったのは、もう10年ほども前になります。
ある日我が家にやってきたのは、当時姉が通っていた動物関係の専門学校の先生から譲り受けたセキセイインコの「ともちゃん」でした。
ちなみにその先生は飼う動物全部に「ともちゃん」と名付けていたそうです笑
私はその頃県外の学生だったので、年に数回の帰省のときにしかともちゃんには会えませんでしたが、ペットはハムスターくらいしか飼ったことがなかったので、初めて間近にする鳥さんにかなり興味津々だったのを覚えています。
卒業して地元に帰って就職しましたが、引き続き一人暮らしだったので会う頻度はそんなに変わりませんでした。
2年ほど働いて、私は心身を壊しました。
一人暮らしも続けられず私は実家に帰りました。
そして初めて鳥さんと、ともちゃんと一緒に暮らす日々が始まりました。
つらいことを思い出してはしんどくなるような日々が続きました。
それでもともちゃんを見て触れ合うたびに、つらいこともうまく忘れられるような気がしました。
ともちゃんは荒鳥さんで、カゴから出ることも人の手に乗ることもない鳥さんでした。
でも人の爪先でクチバシをコツコツするのが好きで、もちろんはずみで咬まれることもありましたが、それさえもかわいくて仕方がなかったです。
かわいくてかわいくて自分からお世話をかってでて、掃除してご飯をあげて…
あるとき「かじりま専科」という穀物を固めたごはんがあるのですが、それを買ってきてあげてみたところ夢中で食べてくれました。
その夜、部屋のカーテンを閉める際カゴの近くに手がかすめたとき「ありがとう」と言わんばかりに私の手をペロペロしてくれました。
びっくりして喜んで、そのとき私は鳥さんの魅力に完全に虜になってしまったのだと思います。
鳥さんがこんなに感情豊かで人間を好きになってくれるということを初めて知りました。
ともちゃんはそのころすでに7・8歳で、私は心の中でいつか亡くなってしまうことへの覚悟をしていました。
様子がいつもと変わったのは一緒に暮らして半年ほど経った頃でした。
カゴの隅で羽をふくらませてジッとしていることが多くフンも柔らかめになっていて、元気のなさを心配していました。
ちょうど友人の結婚式で外出しなければならなかったので「帰ってきたら病院に行かなきゃかな?」と思いつつ出かけました。
次の日の朝、家に帰るときに母からのメールで亡くなっていることを知らされました。
家に帰ると、ともちゃんは明らかに死んでしまっていました。
私は爪先をコツコツしましたが、やっぱり動きだしてくれることはありませんでした。
母もかわいがっていたので一緒に泣きながら庭に埋めました。
ともちゃんは誰にも看取られず亡くなってしまいました。
もっと早く病院に行っていれば…
せめて結婚式が終わって1泊せずまっすぐ帰っていれば…
私はたくさん元気をもらったのに何もしてあげられなかった…
後悔で押しつぶされそうでした。
このときに絵を描いたことが今の活動のきっかけなのは、ショップカードなどに書いてある通りです。
たくさん愛情を返してくれたともちゃんが鳥さんの魅力を教えてくれました。
その後お迎えしたみどりちゃんとレモンちゃんを大事にかわいがってあげることが、私のともちゃんへの贖罪であり感謝だと思っています。
ペットを飼うことは気軽ではなく、簡単に捨てる人もいれば、責任感からなかなか飼えないという人もいます。
私も「ともちゃん」というきっかけがなかったら、自分からペットを飼うことはなかったかもしれません。
でも私はペットのおかげで明日も生きようと思うし、心が救われています。
亡くなって悲しい気持ちを昇華する以外に私が絵を描くことでできることは、ほんとうに必要としているひとに、鳥さんの魅力を少しでも伝えていくことだと思います。
ともちゃんやみどりちゃん、レモンちゃんがくれたものを、これからも大切にしていきます。